彼は、ダンスや音楽制作と同様、デッサンにおける動きそのものを重視し、身体をデッサンしながら、それを超えたところにあるつかまえどころのない生命力のようなものを捉えようとしています。つまり彼にとってのデッサンとは、見えるものを超えた感覚であり、触覚であり、共感であり、直感そのものなのだと言えるでしょう。