1989年よりニューヨーク在住。東京、ニューヨークを拠点に、ビジュアル・アーティスト、デザイナー、詩人、ライターとして数多くのプロジェクトに関わり、さまざま作品を制作・発表。詩集に「走る神」、「青鬼草」がある。Chapbookでは4年に渡った季刊「しっぽ」ほか、最新としてCRS Galleryでのexhibitionに添える「CODE」。詩誌「gui」にはビジュアル・ポエトリー「breath」シリーズなども発表。2007年から白抜き線画シリーズを制作開始。

***幼少時代から10代にかけてたびたび絵を描くことで受賞。それに気をよくして美術系の進学をしたものの、卒業後は、昼は造形、夜は音楽やろうぜという騒がしい時代に。そこから一転、静かなニューヨーク生活の中、書こう書こうと歩き続ける、また作る。そして再び穏やかならぬ悲喜こもごものある日、すっかりポケットの底に眠っていると思っていたたはずの絵筆を、ダウンタウンの舗道の割れ目で発見。以来、描くことかくかくしかじか。お絵描きさんとしての個展は今回が初めて。***

作品について〜山本テオ

机を前にして座る。

目の前にはもう紙が用意されている。あるときはすでにそれがもう始まっているから、すぐさまペンを握って紙をにらむ。別のときはただ心に灯っているたくさんの頼もしい電球を全て消して、耳をすます。そしてそのうちそれが、近づいて来る。

それはソーダ水の泡のように、下の方からわらわらとやって来る。あるいはひらひらと舞う雪のように天から静かに落ちてくる。あちらからこちらから、ゆっくりと、ときにはスタッカートで浮かび上がる。どこからでも制限なく吹いてやまない風と似ている。

こうしてさまざま受け取るが、それらが何を意味していて、いったいどこから来たのかといった素性は、よくわからないことが多い。まるで森の奥からふいに現れたアライ熊の家族と同じくらい、一見こちらとのつながりどころは不明に思える。けれども、アライ熊達からの身の上話を聞かずとも、私は彼らの存在をはっきりと感じることができる。

どこからかやって来たもの、おそらくは大切なもの、忘れていた何かからの伝言を秘めているかもしれないもの、寄せてはいつか遠ざかってゆくもの。その不可思議な存在を感じ、描くことによって受けとめるのは楽しい。

記号にも見え、暗号のふりもする彼らは、空から、ソーダ水の中から、森から、都心から、そして私自身の心の奥からの、優しく自由な訪問者だと思う。